第194号【貿易港フィランド(FIRAND)を散策】

 九州本土の西北端、平戸瀬戸を隔てて浮かぶ平戸島は、南北に細長くタツノオトシゴに似た形をしています。北は玄界灘、西は東シナ海を望む風光明美な島で、長崎市から車で約3時間ほどです。


 九州本土と平戸瀬戸をまたぐ巨大な平戸大橋(長さ665m、高さ30m)を渡るとまもなく平戸の中心市街地に到着です。かつてこの地は、日本初の海外貿易港として栄えました。日本が鎖国する前のことです。今回はその面影を辿りつつ平戸の魅力に迫ります。




 平戸港を囲むようにしてある平戸の市街地は旧平戸藩の城下町で、2~3時間もあればひとめぐりできる小さな街です。しかし、街に点在する史跡をひとつひとつ堪能し、食や文化に触れ、風情あるたたずまいに目を止めながら歩けば時間はいくらあっても足りないというくらい奥深い街なのです。


 日本の西の端に位置する平戸は、その地の利を生かして古くから中国や朝鮮との交流がありました。奈良・平安時代には遣唐使船の寄港地として船や人々が往来し、鎌倉・室町時代には、この地を治めていた松浦氏はアジアとの貿易で富みを得ていたといいます。


 このように早くから海外交流に目覚めていた平戸が、さらなる国際化で繁栄をみせるのは1550年にポルトガル船が入港してからのことです。この時から、のちに徳川幕府が鎖国政策で海外貿易の拠点を長崎・出島だけとするまでの約90年間、平戸の港ではポルトガル、イギリス、オランダの国々の船と交易が行われました。平戸は、「FIRAND」(フィランド)と呼ばれ南蛮貿易の隆盛を極めたそうです。


 平戸港の入り口右側には「常燈の鼻」と呼ばれる石垣の防波堤があります。ここにはかつてオランダの国旗がはためき、そばには1609年、日本で初めて開設された平戸オランダ商館がありました。しかし、1941年、幕府の命令で長崎出島に移設される際、その建物は徹底的に取り壊されたそうです。現在は、当時、貿易品が積みおろされていた階段状の埠頭や1610年~1620年代に築かれたという高さ2メートルほどの「オランダ塀」、オランダ商館員らが使用した井戸などが残されています。






 街の中心部には、城と城下街を結ぶ石橋がありました。「幸橋(さいわいばし)」という名ですが、別名「オランダ橋」(国指定重要文化財)とも呼ばれています。1702年に、オランダ商館の築造に携わった大工さんたちによって造られたものです。ここから山手の方へ10分ほど歩くと、かつて東西の文化が共存した平戸の街を象徴する「寺院と教会の見える風景」が見られます。




 平戸の市街地はエキゾチックな石畳の道が続き、ゆったりとした城下町ならではの風情も漂っています。そんな街中で、樹齢400年という大きなソテツに出会いました。太い茎が枝分かれしてニョキニョキとのび、くだを巻いている状態です。こんなソテツは見たことがありません!江戸初期の貿易商の家の庭に植えられていたものそうです。このソテツに南蛮貿易で栄えた頃の平戸について、いろいろ聞いてみたくなりました。



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