第193号【長崎の金星観測碑】

 しばしば足を止め見上げる空は、心をときめかせたり、おおらかな気分にしてくれます。今月8日、金星が太陽の前を横切るという現象がありましたが、ご覧になられましたか?日本では130年ぶりという現象に、多くの人が空を見上げたことでしょう。


 この日、金星が太陽に入ったのは、午後2時11分。全国的に悪天候で長崎も曇り空でしたが、夕方近くになって晴れ間がさし、感動の天体ショーが観測されました。長崎市科学館では、午後4時20分から見られるようになった金星の丸い影が太陽の前をゆっくりと過ぎる様子をインターネットでも中継したそうです。




 ところで130年前の金星の太陽面通過は、1874年(明治7)12月9日でしたが、外国の観測隊が長崎で観測を行ったことをご存知ですか?当時、欧米の国々は金星の太陽面通過の現象を通じて、地球と太陽の正確な距離を求めようと、観測がしやすいとされた東アジアなどに観測隊を派遣させたそうです。その中で、日本の横浜と長崎も観測の適地として選ばれ、長崎にはフランスとアメリカの観測隊がやってきたのでした。


 天文学者ジャンサン氏率いるフランスの観測隊は、長崎港から北側に位置する金比羅山を観測地に選びました。金比羅山の一角には、この時の観測を記念して建てられたピラミッド型の碑があります。碑には、金星を意味する「VENUS」の文字が大きく刻まれていました。ほかにも関係者の名前らしき文字や何かのデザインが刻まれているようですが、風化してよくわかりません。長い時の流れが感じられます。




 この碑から東に24メートルほど離れた場所には、レンガ積みの金星観測台がひっそりと残っていました。実際に観測の機材を載せて使われた貴重な史跡ですが、発見されたのは何と平成5年(1993)のことで、つい最近です。生い茂った樹木に隠れ、その存在は長い間忘れ去られていたようです。




 一方、ダビッドソン氏率いるアメリカの観測隊は、長崎市街地の南側に位置する「星取山」で観測を行いました。観測地だったところには現在、「星取山無線中継所」があります。この時の観測がきっかけで、もとは「大平山」という名の山だったのが、「星を撮る」から、「星取山」と呼ばれるようになったそうです。




 アメリカのダビッドソン氏一行は、星取山での金星観測にあたり、正しい経緯度を知る必要性から、長崎と東京間の経度差の測定を行い、日本最初の経緯度原点(東京都板倉:チットマン点)値を決定しています。金比羅山で発見された観測台は、経緯度原点地を決める基準になったダビッドソン点の位地を推定する手がかりとなるもので、測地学上重要な意義を持つのだそうです。


 観測台のそばには長崎県測量設計業協会が、「我が国初の経緯度原点確定の地」の記念碑を平成9年(1997)に建立しています。




 現在、金比羅山の観測地跡地に設けられている展望所からは、長崎市街地と港が一望できます。フランスの観測隊は、天体だけでなく、居留地時代で賑わう長崎港もしっかり眺めたに違いありません。



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