第189号【唐風の中に和風の趣き・聖福寺】
長崎の唐寺・聖福寺(しょうふくじ:玉園町)は、崇福寺(そうふくじ:鍛冶屋町)、興福寺(こうふくじ:寺町)、福済寺(ふくさいじ:築後町)とともに、「長崎の唐四ケ寺」、「長崎四福寺」のひとつに数えられています。昨年、さだまさしさん原作の「解夏」という映画のロケ地にもなり話題になりました。
聖福寺は、長崎駅前にある筑後町から隣接する玉園町にかけて続く「筑後通り」の一角にあります。この通りは、他にも冒頭の福済寺をはじめ由緒ある寺院が建ち並ぶ静かなところで、同じくお寺が並ぶ思案橋近くの「寺町通り」界隈とは、また違った落ち着いた風情が漂っています。
聖福寺(1678年創立)の開基は鉄心という長崎人です。中国人を父に持つ鉄心は、中国の名僧・木庵に師事し、黄檗宗の総本山である京都宇治の「黄檗山万福寺」で修行。のちにこの寺の要職にも付くような名僧となりました。そんな鉄心のために、長崎奉行や在留唐人らが建立したのが聖福寺だったのです。
ところで、黄檗宗とは、1654年に隠元禅師が中国から長崎に渡来した際に伝えた禅宗の一派です。(ちなみにこの時のお土産がインゲン豆で、「隠元」の名前が付けられました。)日本で活躍した隠元禅師は、ときの将軍さまにこの国にとどまるようにいわれて、永住を決意。そうして1661年に開創されたのが、のちに鉄心が修行した宇治の万福寺でした。
聖福寺は、大陸の大らかな風格が漂う建物ですが、どこか和風の趣もあります。それは、鉄心が当時すでに長崎にあった他の3つの唐寺の建築様式よりも、宇治の万福寺の様式を好んだからと推測されているそうです。
とはいえ、やはり唐寺。釈迦を祀る大雄宝殿の正面の扉に施された桃の浮き彫りや朱塗りの手すりは、いかにも大陸の息吹が感じられます。また、ほんのり朱色がかっ屋根瓦は、肥前武雄産の「釉薬(うわぐすり)かけ瓦」で、長崎では他に見られないものだそうです。
聖福寺の敷地内には他にも見どころがいろいろあります。ひとつは「惜字亭(しゃくじてい)」と呼ばれる赤レンガ造りの六角形をした炉です(1866年造)。お寺の不要となった文書類を焼却するための炉なのですが、ハッとさせられるのは、その「惜字亭」という名称です。ものごとを大切にする当時の心が伝わってくるようです。
また、明治初期に廃寺となった寺の瓦などを集めて造られた「瓦壁」や、毎年茶道の各流派が集って茶筅の供養が行われているという「茶筅塚」(昭和40年建立)などもあります。観光がてら、散歩がてらに、お出かけになりませんか。
◎参考にした本:長崎歴史散歩(原田博二著・河出書房新社)、長崎事典~風俗文化編~(長崎文献社)