第170号【大唐人屋敷展】
明けましておめでとうございます。今年どうぞもよろしくお願い申し上げます。
新年第1号は、長崎市立博物館で好評開催中の「唐人屋敷展」です。最近、全国の美術館や博物館で行われる地域性の高い企画展を観て回る人が増えているそうですが、今回の「唐人屋敷展」も、長崎ならではの歴史や美術工芸の貴重な資料が展示され、見応えたっぷりです。
長崎市立博物館では、長崎市の冬のイベント「ランタンフェスティバル」の時期に合わせて毎年「唐人屋敷展」を開催しています。唐人屋敷とは、江戸時代に長崎に造られた中国人の居住区域のこと。幕府は中国との貿易でキリスト教の布教や抜け荷(密貿易)を防ぐために、中国人を皆そこへ住まわせました。この「唐人屋敷展」で、中国と長崎の歴史的なつながりがわかると、中国の旧正月を祝う「ランタンフェスティバル」もいっそう味わい深くなるはずです。
現在の長崎の新地中華街近くにあった「唐人屋敷」は、1689年に造られました。造成当初の総坪数約8、015坪。敷地内には、唐人屋敷(住居)の他、中国の神々を祭った土神堂(どしんどう)、天后堂(てんこどう)、観音堂などがありました。当時の様子は展示中の唐館絵巻」で観ることができます。
この絵巻はシーボルトのお抱え絵師で知られる川原慶賀が描いたもので、そこには唐船が長崎港に入港して積み荷を降ろすところから、唐人屋敷での暮しぶりや年中行事の様子まで次々に描かれています。中には遊女と中国人らが賑やかに遊んでいる場面もあります。唐人屋敷への日本人の出入りは、お役人でも公用以外は厳禁でしたが、遊女だけは許されていたのです。
当時、長崎~中国を往来した唐船の絵も数種類展示されています。これらの船はジャンク船(帆船)と呼ばれていましたが、実は福州、台湾、南京など出航港によって船の姿が違います。幕府側は、抜け荷などで逃げた船をチェックする際の資料とするために各種唐船を描いていたのです。もともとは中国国内の川を往来する川船の南京船も長崎に入っていました。その南京船以外は、海洋航海の魔よけの意味で、船に「目」が描き入れられています。
長崎市立博物館の所蔵品を代表する「寛文長崎図屏風」も展示されています。まだ唐人屋敷が造られていない江戸初期の長崎の町が描かれていて、唐人らが自由に市中を歩いている様子が観られます。この他、蘇州の土を使って長崎で焼かれた「亀山焼」も展示。蘇州の土は文人好みの色や風合いが出たそうです。この「唐人屋敷展」は前期(~1/11迄)と後期(1/13~2/15迄)開催。後期は隠元によって長崎に伝えられた黄ばく宗の文化にちなんだ資料が展示されます。