第163号【海男たちの夢の跡?!五島・日島の石塔群】

 秋の夜長の楽しみで、月や星空を眺めながら壮大な宇宙や遠い昔のことなどに思いを馳せる人もいらっしゃることでしょう。今回はそんな季節にぴったり。遥かいにしえへと誘う五島列島・日島(ひのしま)の遺跡をご紹介します。




 五島列島のほぼ中央に浮かぶ若松島。ここから目的地の日島までは、漁生浦島(りょうぜがうらしま)、有福島(ありふくじま)といった橋や防波堤でつながる小さな島々を経なければなりません。道は入り組んだリアス式の海岸に沿ってあり、とにかく曲がりくねっているのですが、信号も行き交う車も少ないので運転のストレスはありません。景色は西海国立公園の一角のまるで湖のような海に浮かぶ大小の島々が見渡せ、東シナ海の洋上とは思えないほど穏やな美しさの自然を楽しみながら日島への道を辿ります。


 日島は面積1.65平方キロメートルの小さな島。人口72人ほどで、島に生息する野生シカの数の方が多いといわれる寒村です。しかし古来、中国大陸と本州、九州とを結ぶ交通の要地で、朝鮮半島との貿易の本拠地として栄えた島でした。日島の名も、かつて烽火(ほうか)によって異国船が来たのを知らせる監視所があったことによる「火ノ島」の呼び名が「日島」に転化したといわれています。




 そんな日島の曲(まがり)地区に、歴史のロマンに包まれた「日島曲石塔群」という遺跡があります。それは日本の中世(鎌倉~南北朝~室町)時代の古墓で、東シナ海を見渡す場所にこつ然と建ち並ぶおびただしい数の石塔群です。雨風にさらされ摩滅が激しく、所々崩れ落ちたその白い姿は、海の青さを背景に、長い時間をくぐり抜けてきたものならではの圧倒的な迫力を放っています。




 石塔群は、石材も石塔の形も数種類あります。いずれも地元で制作されたものではなく、主に関西地方や若狭湾で知られる福井県の高浜町日引(ひびき)で制作されたことがわかっています。これは中世の頃の海道で、福井や鳥取、島根、山口、福岡、五島などを結ぶ日本海ルートの活発な動きを証明するものだそうです。また当時の海賊集団で知られる「倭冦」がこの石塔建立に関係しているという考えもあるといいます。




 なぜ、ここにわざわざ運んで建てたのか。海男たちの供養のための墓であろうこの石塔群建塔の背景は不明のままです。繁栄の時代の日島や、シンプルな航海技術で命がけで海上を行き来した海男たちへと思いを馳せる石塔群は、600年以上もの時を超え、人々を魅了し続けています。




※ 参考にした本/「石が語る中世の社会」大石一久著

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