第139号【初夏の味と女の子 ~シオちゃんはエライ!!~】
こんにちは。初夏を迎え、日差しもギラギラしてきました。 この時期、期間限定の長崎の味と言えば、ズバリ茂木ビワ! 冷蔵庫でほどよく冷やすと、最高にうまぁい!! 今日は、茂木ビワにまつわる女の子のお話をご紹介します。
1818年(文政元)、三浦シオは、現在の長崎市北浦町(もと茂木町)の百姓、吉右衛門の次女として生まれました。 シオが代官屋敷に奉公に出されたある日のこと、代官へ唐人船船主から中国のビワが贈られました。 シオはその種を持ち帰り、自宅の庭に蒔いて育てました。 当時、日本には在来の野生種のビワがありましたが、実も小さく渋い味でした。 もしかすると、おいしそうに食べる代官たちの様子を、シオはそばで見ていたのかもしれませんね。
シオの育て方が良かったのか、気候に恵まれたのか…中国ビワは異国の地でも甘く美味しく育ちました。 1850年(嘉永3)、隣家の山口権之助が枝をもらい、接ぎ木をします。 その後も、三浦万次郎や三浦八十八らをはじめ、接ぎ木は繰り返され、中国ビワは次々と繁殖しました。 (^-、^)オイシイ噂ハ早カッタ!?
まさか時を経て長崎県を代表する果実にまで成長するとは、シオも予想だにしなかったことでしょうね。 ちなみに、明治30年2月21日、シオは家族に囲まれ、80才の高齢で亡くなったそうですよ。 ( ̄∇ ̄)長寿もビワのお陰?
※参考文献 文献社発行「長崎の女たち」長崎女性史研究会著
▲私たち傷つきやすい
青い果実なの
▲傷つきやすいビワの実は
袋の中で育ちます。
▲採れたての
茂木ビワ