第138号【激動の歴史とそろばんドック】
こんにちは、G.W.はいかがお過ごしでしたか? 今回は、5月の風に揺れる新緑と赤レンガの美しさに惹かれて訪れた、 小菅町(こすげ)のそろばんドックをご紹介します。
頃は幕末、ペリー来航を機に日本は鎖国を解き、国防を目的とする海軍の設置、軍艦の建造が始まります。 当時、幕府をはじめ、土佐や薩摩なども軍艦を有しますが、修船場がなく、 せっかく購入しても就航できない船も多かったことから、この地に白羽の矢が立てられました。
そして、まさに歴史の転換期の明治元年12月竣工。 以来、数多くの傷ついた船がここで癒され、再び大海へと船出しました。 あの有名な咸臨丸がここで修理された折には、明治天皇も訪れたそうです。 その後、対岸地区に官営の造船所(長崎三菱造船所の前身)ができ、 次第に業務は先細り、大正9年には廃止状態となりました。
再び、活躍したのは大戦を機に昭和12年。またもや歴史の転換期でした。 大戦中は軍用艦艇や魚雷艇を建造しましたが、終戦後は細々と漁船の補修場として利用され、 昭和28年に完全に閉鎖されました。 その後、昭和44年に重要史跡として国指定を受けましたが、 グラバー園等の観光施設からも離れているため、訪れる人も無く、ひっそりとしています。 多くの船を送り出すという仕事から解放された今は、静かに時の移り変わりを見守っているのかもしれませんね。
▲小菅修船場跡
通称「そろばんドック
▲現存する日本最古のレ
ンガ作り建物「曳揚小屋」
▲護岸の石積みは
幕末のもの