第127号【松田雅典と缶詰】


 スーパーに並ぶたくさんの缶詰。果物、魚介類、野菜、飲み物、etc…。 現在日本で800種ほどの缶詰があるそうです。 そのまま飲んだり、食べたり、料理の材料や非常食として常備しているご家庭も多いことでしょう。 (^^)缶チャンポンハアリマセンガ。


 加工した食材を缶に入れて加熱滅菌。 密封して永く保存するというその作り方を最初に考案したのはニコラ・アペールというフランス人です。 それは19世紀はじめ皇帝ナポレオンが活躍していた時代で、フランス軍の食糧として大いに活用されました。 当初は缶ではなくビンに詰められていましたが、間もなくイギリスでブリキ缶が発明され缶に詰められるようになったそうです。


 日本で初めて缶詰を製造したのは長崎の松田雅典という人物で、19世紀後半、明治時代のことです。 雅典は長崎会所の吟味役を務めていた馬田家の次男として天保2年(1832)に生まれました。 成人して婿養子となり、姓が松田に変わっています。 勤め先は長崎の外国語学校「広運館」(※第88号参照)で、 仕事柄、外国人との接触が多かった影響で、日頃から外国製品に高い関心を寄せていたそうです。


 そんなある日、フランス人教師のレオン・ジュリーが、本国から持ち込んだ 牛肉の缶詰を食べている場面に遭遇。なぜ、何ヶ月も前にフランスから持って 来た牛肉が食べられるのかとたいへん驚き、ジュリーからその製法を聞き出し ました。そうして試作品としてイワシの油漬け缶詰をつくったのが日本の缶詰 の始まりだといわれています。(^∇^)雅典ハ“日本の缶詰製造の父”!



▲日本最初の罐詰製造の地

ちょっと登ると県立図書館が。


 その当時、長崎は開港して、港周辺に欧米各国の領事館が次々に立ち並びは じめていた頃で、雅典は長崎にやってくる外国船を眺めながら、缶詰ビジネス が、長崎の重要な産業になると考えます。そうして県知事にかけあい、日本初 となる缶詰工場、「長崎県缶詰試験場」をつくったのでした。 (□□)/場所ハ立山ノ県立図書館ソバ


 缶詰製造にあたっては外国から機械を取り寄せたり、何度も試行錯誤を重ね るなど相当苦労したようですが、その甲斐あって、のちに外国へ輸出されるま でになります。さらには日清戦争では兵食にも利用されたそうです。


 雅典が明治28年に亡くなった後、長崎では大正初期に「トマト・サージン」 が初めて試作され、製品化。昭和30年頃まで海外に広く輸出されています。 もちろんこのトマト・サージンには、雅典の時代に培った缶詰製造の技術が活 かされていたに違いありません。 (^ー^)長崎ハ、イワシ(サージン)ガイッパイ捕レルカラネ



▲2種類のイワシの缶詰

缶切不要タイプも増えました。

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