第122号【長崎事始め・バター&チーズ】
私たちが普段いただいているバターやチーズなどの乳製品。 現代の食生活には欠かせないものですが、もともと日本は肉食や牧畜といった習慣がなく、 牛乳をはじめとする乳製品が普及し一般的になったのは戦後になってからだそうです。 ( ’。 ’) 意外ニ遅イネ
日本では明治維新後に紹介されたといわれるバター。 しかし西洋文化がいち早く花開いた長崎にはすでに江戸時代に「バター」に関する記述がありました。 そのひとつで1818年編集の「長崎名勝図絵」に書かれた、 出島で行われたオランダ正月の宴に出された献立には「牛脇腹油揚げ」、 「牛豚すり合わせ同じく帯腸に詰める」、「家鴨丸焼き」などといったご馳走メニューと並んで「ボートル煮鉢物が四つ」というふうに記されています。 (□。□)/ボートル(boter)=バターデス!
▲オランダ正月を描いたもの
「蘭人饗宴之図」(絵はがきより)
当時、オランダ人は自分達のためにオランダ船で牛を運び入れ、出島の中で飼っていました。 出島の中には牛の乳を使ってバターを作る職人迄いたといいます。 またシーボルトが残した日記には、貯蔵法が悪く悪臭を放っていたボートルを日本人がカステラの上に塗り、 オランダの味がすると喜んで食べたという内容が記されているそうです。 西洋的な臭みがプンプンしてるとか、西洋かぶれの様子を「バタ臭い」といいますが、まさにバタ臭いエピソードです。 r(-◎_◎-)/江戸時代、バターハ肺結核ノ薬デモアリマシタ
※弊社ホームページ「 長崎食文化(オランダ料理編)」参照
▲熱々のトースト&バター
実は日本には飛鳥時代に朝鮮半島にある国から帰化した医師で、知聡(ちそう)という人物が、 滋養強壮の薬のひとつとして乳の知識を伝えていて、それが乳利用のはじまりといわれているそうです。 さらにその後、奈良・平安時代になると、牛乳を過熱して凝固させた「酥(そ)」といわれる乳製品が登場。 これもやはり栄養をつける食品として貴族たちの間で珍重されたそうです。 この「酥」が、いわゆる今のバターやチーズに近いものだと推測されています。 しかしこの日本におけるバター・チーズのルーツかもしれない「酥」は、 貴族の歴史の衰退と同時にいつしか消えていく運命にあったのでした。
最後になりましたがチーズは、19世紀になってからオランダから長崎に持ち込まれました。 当時は「長命丸」と呼ばれ、バターと同じように医薬品として扱われていたそうです。 ちなみに日本ではじめてチーズが試作されたのは、 その後まもなくの1875年(明治8年)、北海道でのことでした。
▲栄養たっぷりのチーズは
まさに長命丸!
【参考にした本】
■「ながさきことはじめ」(発行/長崎文献社)
■「食材クッキング事典」(発行/学習研究社)