第119号【黄金郷の夢の跡!?】

 ヨーロッパ人が新しい航路や大陸を次々に発見していった大航海時代(15~17世紀前半)。 オランダと日本が長崎出島を通して貿易を始めたのはその時代が終盤を迎えようとする1641年でした。 この頃すでに、日本だけでなくアジア諸国にオランダ、ポルトガル、イギリスなどヨーロッパの国々の船がやって来て交易が行われています。


 それにしてもヨーロッパの国々をはるばる東方の彼方まで至らしめた大航海時代の原動力は何だったのでしょう。 それは当時のヨーロッパ人の根底に、東の彼方にあるという黄金郷発見の夢があったからという説があります。 その黄金郷と聞いて私たち日本人がすぐに思い浮かべるのは、やはりマルコ・ポーロ(1253~1324)です。 (^∇^)冒険商人!



▲冒険家? マルコ・ポーロ


 イタリアはベネチアの商人マルコ・ポーロは東方に旅した際、 大帝国(元)を治めていたフビライ・ハンの下で17年間を過ごしました。 その時の体験などを綴った「東方見聞録(とうほうけんぶんろく)」という本で彼は日本をジパングとよび「黄金の国」と紹介しています。


 ところでヨーロッパにおける、東方の彼方にあるという黄金郷伝説は、 実はすでに紀元1世紀の頃からあり、当時の地理書にも登場しているそうです。 さらにそれ以前にもギリシャやローマでもそういった伝説が存在していたというから驚きです。 もしそれが事実なら少なくとも2000年近くにわたり、 東方の黄金郷伝説への憧れをヨーロッパ人は抱き続けていたことになります。 ( ’.’)人間ノ欲ヤ希望ガ生ンダ伝説カモ?


 マルコ・ポーロが亡くなり15世紀に入るといよいよ大航海時代へ突入。 ヨーロッパの国々は競って未知の海にのりだしました。 「東方見聞録」のジパングに憧れを抱き、東洋への航海を夢見ていたコロンブスがスペインの船に乗り、 アメリカ大陸を発見(1492年)したのはこの時代のことです。



▲オランダ船は長崎近海でも

黄金の島を探したかも!?


 そして16世紀半ばポルトガル人が日本の種子島に上陸します(1543年、鉄砲伝来)。 そしてこの時以来、ポルトガル人は日本の事情を知ることとなり、 日本はいわゆる「黄金郷」でないことがわかったといわれています。 それから約100年後、さまざまな局面を経てオランダと日本における出島貿易が始まるわけですが、 これでヨーロッパ人の黄金郷の夢は消滅したわけではありません。


 何と日本よりさらに東方の海や大平洋上にまで探索は行われ、それは19世紀初頭にまで及んだそうです。 人間の未知なるものへの強い夢や憧れが、黄金伝説をつくったとしたら、長崎出島の時代は、 その夢を追った壮大な歴史の跡のひとつともいえ、夢を追い続けることのすごさを感じます。 /( ’ ’ )マダ黄金郷ヲ探シテル?


●参考にした本/「世界の歴史8~ルネサンスと大航海時代~」(集英社)

「探訪・大航海時代の日本4」(小学館)

「黄金伝説ジパングの謎」(多賀一史著:PHP研究 所)

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