第116号【ちゃんこ鍋のルーツ!?】
12月も近くなりどんどん寒くなっていくとばかり思っていたら、 長崎では寒さが緩み再び秋にもどったような天気が続いています。 そんなお天気の気まぐれは別として、これからの季節は何と言っても鍋料理。 あったかい鍋をみんなで囲んでふうふう言いながら食べるのはこの季節のお楽しみのひとつです。 ( ̄∇、 ̄;)タベタカ~
長崎ゆかりの鍋といえば「ちゃんこ鍋」。相撲部屋で作られるあの鍋料理です。 季節の魚や野菜、お肉などいろいろな食材をたっぷり煮込むから、おいしくて栄養バランスが良いのが特長です。 これは相撲部屋ごとにいろいろな工夫と味わいがあるようです。
▲鶏ガラスープであっさり
仕立てのちゃんこ鍋
ちなみにお相撲さんの作る料理はすべて「ちゃんこ」と呼び、“食事”という意味で使われています。
ところで、なぜ「ちゃんこ鍋」が長崎と関係あるのだろうかと不思議に思われる方も多いことでしょう。 九州場所といえば福岡ですし、その他の地方巡業でも長崎へ来る機会はとても少ないのです。 しかし江戸時代、長崎と相撲界とはたいへん関係が深く、江戸時代の一時期、 長崎は九州で最初の巡業場所だったそうです。 ( ’o ’)意外?
▲江戸時代、相撲や見世物などが
行われていた梅園天満宮
長崎と当時の相撲界のつながりを示すものとして、ある力士のお墓が長崎市の蛍茶屋近く(本河内町)にあります。 その力士の名は丸山権太左衛門(まるやまごんたざえもん)。 宮城県出身のこの力士は大関(当時の最高位)にまで進んだ強い力士でしたが、 江戸・京・大坂を経て長崎へ着き、小島の梅園で興行した後、病にかかり亡くなりました。 権太左衛門は、今も故郷の宮城県米山では銅像もつくられるほどよく知られた力士のようです。
▲丸山権太衛門の墓
(長崎市本河内町)
さてちゃんこ鍋ですが、そのルーツは中国。 江戸時代に長崎にやって来た中国人が唐人屋敷で作るようになった鍋料理で、その名も「鉗鍋(チャンクヲ)」。 そしてもうご推察のとおり、長崎に巡業で来ていた力士が、手軽でボリュームもあり、 さらに煮込むので伝染病などの心配がいらないこの料理法を持ち帰ったのが、 ちゃんこ鍋のはじまりだと一説ではいわれているのです。
「鉗鍋(チャンクヲ)」が味も呼び名も日本風にアレンジされ「ちゃんこ鍋」へ転じたということですが、 それにしても"ちゃん"という言葉が気になりませんか? 同じ中国がルーツで、いろんな具材を入れるという意味でもちゃんこ鍋は「ちゃんぽん」と共通するものがあります。 これはきっと何か関連があるに違いありません!? (⌒∇⌒)/ドッチモ、オイシイ、ソレデイイ!