第112号【東山手のオランダ坂】
秋の冷んやりと澄んだ空気がとても心地よい今日この頃です。 観光&修学旅行シーズンの真っ只中ということもあり、 今回訪れた東山手のオランダ坂にも多くの観光客が異国情緒あふれる風情を満喫していました。 (^∇^)/東山手ハ、コラム10号デモ紹介シテマス
▲中腹から見たオランダ坂
この一帯は安政の開港(1859年)後、外国人居留地のひとつとして栄えたところで、 今も幕末~明治期の洋館が建ち並んでいます。 当時、居留地には各国の領事館が競うように建てられ、商社、ホテル、倉庫なども次々に造られたのですが、 高台の東山手やグラバー園のある南山手といったところには個人の住宅が多く建てられたようです。 ( ' ∇')>眺メガイイデスカラネ
東山手一帯の石畳の坂道や坂段は、どこもたいていオランダ坂とかオランダ通りなどと地元では呼ばれています。
そのオランダ坂のスタート地点ともいえるのが活水学院下にある切り通しの坂。 長崎の観光パンフレットや旅行雑誌などでもよく紹介されるので、ご存じの方も多いことでしょう。 この近くにある東山手十二番館(国指定重要文化財)に行くと、長崎を代表するこの坂の昭和30年代の写真を見る事ができます。
▲東山手十二番館
(国指定重要文化財)
写真では当時の切り通しの坂が今よりもずいぶん狭かったのがわかります。 時代の要請で道幅が広げられたようです。他にも昭和30年代の東山手の風景写真が十数点ほどあり、 素朴で健やかな人の笑顔と懐かしい坂の風景を楽しむことができました。 この東山手十二番館は明治元年(1868)に建設されたもので、ロシア領事館、アメリカ領事館、 アメリカの宣教師などの住宅として使用されました。 広々としたベランダや廊下に威風堂々とした領事館の面影が感じられます。 現在は長崎市旧居留地私学歴史資料館として利用されています。
オランダ坂をさらに高台へ歩いていくと、2枚の平らな石をV字に組んだ溝が残っています。
▲オランダ坂の端にある三角溝
三角溝と呼ばれる現役の排水溝です。この形だと雨水や汚物が流れやすいとか。 長崎市内では他の数カ所にも残っています。 グラバーさんの別荘があった長崎港沖の高島やオランダ商館が最初につくられた平戸にも同じような溝があるそうですが、 この溝についてはまだ歴史的には詳しく解明されていないというから残念です。 ( ’o ’)鋭角ナ溝ッテ珍シイデスヨネ
東山手の高台の活水学院や海星学園の裏手をまわると、平地へ下る長い石段があります。 ばってん坂ともいわれているその石段の途中にあった小さな商店は、行き交う人々の休憩&井戸端会議所です。 「登ったり降りたりたいへんだけど、あたしゃココが好きだよ」。 坂や石段に鍛えられたおばあちゃんのおおらかな笑顔がとても素敵でした。 (=´∇`)健康ニモ良カヨ。