第110号【西洋医学を日本で最初に伝えたアルメイダ】


 先日、著名な長崎の郷土史家の方と同席していた時のこと。某テレビ局からその方へ問い合わせの電話が入りました。 「先生、アルメイダって何ですか?」。何かの番組の下調べだったのでしょうか。「昔のどこかの地名ですか?」。 先生は笑いながら「それは人の名前。室町時代に長崎で最初にキリスト教の布教を行った人です」。 ( ’◇ ’)アナタハ、ゴ存ジデシタカ?



▲ルイス・デ・アルメイダ

(記念碑説明版より)


 アルメイダ(1525~1583)はポルトガルの貴族出身で、外科医の免許を持つ青年でした。 大航海時代だった当時、東インドを中心に貿易商として活躍。20代初めには膨大な資産を蓄えたそうです。 ある日、リスボンから東インドに向かう船中で、彼は運命的な出会いをします…。(“)?


 運命の相手はイエズス会の神父と修道士でした。 実は彼らは日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの弟子たちで、 『信仰』と『ジパング(日本)』への熱い思いをアルメイダに話しました。 それが縁で1555年、日本(平戸)へ上陸。


戦国時代の最中で、戦火に巻き込まれ苦しむ貧しい人々を見た彼は翌年、 人々を救うためにイエズス会の修道士へと転身したのでした。


 アルメイダは西洋医学を最初に日本に伝えた人物といわれています。 というのも西日本各地で布教と同時に医療活動も行ったからです。 長崎へ来る前には豊後で、殿様の大友宗麟(おおともそうりん)に、 自らの資産を提供し病院や育児院までつくり、治療にあたっています。


 キリスト教の布教はポルトガル貿易とともに行われ、その港は諸事情で各地を転々としていました。 そんな中、アルメイダが長崎に派遣されたのは、1567年の初冬のこと。 さっそく現在の春徳寺付近(長崎市夫婦川町)に布教所を設けると、すぐに500人近くの人がキリシタンなったそうです。 活動情況は具体的にはわかりませんが、他の地でもそうだったように、 医者としての力を発揮していたのかもしれません。 (゛)タブン、ソウダト…。



▲アルメイダ渡来碑(夫婦川町)


 長崎で多くの信者を得たアルメイダの滞在はたいへん短く、翌年の春には長崎を離れています。 それから1年後には長崎で最初の教会「トードス・オス・サントス教会」(現:春徳寺)が造られました。



▲トードス・オス・サントス

教会跡の碑(春徳寺の前)


 実はイエズス会の宣教師らは布教活動と同時に長崎港の水深を計るなど港の調査も行っていました。 そしていよいよ教会、信者、港と条件の揃ったところで藩主・大村純忠へ開港を要請。 そうして1571年4月、長崎港は開港します。もしアルメイダの長崎での布教が上手く行ってなかったら…。 イエズス会は別の土地を探し、長崎は開港しなかったかもしれません。 (^∇^)マッ、開港ニ至ルニハ、他ノ要因モアッタデショウガ。

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