第93号【日本最古の現役鉄橋・出島橋】
例年よりやや遅れて梅雨入りした長崎。降り続く雨はうっとうしいものですが、新緑の季節後さらに輝きを増した樹木や、雫にしっとり濡れる紫陽花たちの姿は心を潤すような美しさです。梅雨は自然界だけでなく人間にとっても慈雨(じう)なのかもしれませんね。(^^)/梅干、梅酒作リノ季節デス!
今回は中島川の下流に架かる鉄橋・出島橋をご紹介します。出島橋は出島の北東隅で中島川をまたいで長崎県庁のある江戸町側に架かっています。1890年(明治23)に造られました。以前、日本で最初に造られた鉄橋として「くろがね橋」をご紹介しましたが、出島橋は現役として使用されている鉄橋の中で日本最古のものです。(¨)/橋齢、112才!
▲江戸町側からの出島橋
長さは36.2m、幅5.5mという小さなこの橋は、色は淡白いブルーで全体は直線を活かしたすっきりしたデザインです。細部は小さな鉄材が美しく組まれ、明治期のものとは思えないモダンな雰囲気を漂わせています。
ユニークなのは両端の上部コーナーにアクセントのように施された唐草模様と、上部中央に付いた黒い銘板です。この銘板はコウモリを思わせるモチーフになっていて「出嶋橋DESHIMA-BASHI」と金色で刻まれています。制作者らの細部へのこだわりが感じられるところです。(^〇^)中国ではコウモリはラッキーシンボル!
実はこの橋はアメリカで制作された後で日本に輸入されています。その辺の経緯はわからなかったのですが、橋の材質は練鉄で、構造は専門的な言葉を使うと『練鉄のピン結合のプラットトラス構造』というものだそうです。随所に小さな部材をレース編みのように細かく組上げているのが見られますが、これは当時、大きな鉄の部材を造る技術が確立されていなかったため、そうすることで大きな鉄の役割を果たしているのだそうです。
ところでこの橋は、完成当初とは架かっている場所も名前も違っています。最初は現在地より下流で出島の北西隅に架かる玉江橋のすぐ近くに架かっていました。名前も「新川口橋」と呼ばれていたそうです。
▲玉江橋から見える出島橋
現在地へ移転したのは完成から20年後の1910年(明治43)のことです。その時代は近代化を進める国策により出島周辺では港湾改修工事が行われています。出島と江戸町側の間では、中島川のつけ替え(変流工事)が行われ、川幅を広くするため出島は18mも削られました。
現在、出島と江戸町側の間を中島川がゆったり流れていますが、もともとここは海で、陸地との距離は現在の川幅の半分以下もなかったということになります。そしてさらに出島の海側も埋め立てられ、海に浮かんでいた出島はすっかり内陸部になってしまったのです。(><;残シテイテホシカッタ
出島周囲の姿を大きく変えたこの工事は1885年(明治18)から1904年(明治37)まで行われました。ほぼこの時代に重なる時期に完成・移転した出島橋は、埋め立てられていく出島の様子を間近で見ていたのです。そんな遠い時代から今の姿でしかも現役で働いている出島橋。九州の土木遺産として名を連ねる名橋のひとつです。