第87号【唐船が運んで来た、けん玉】

 ゴールデンウイークはいかがでしたか? 前半は晴れ、後半は雨だった長崎ですが、お天気に関わらず観光スポットは様々なイベントが行われ大勢の人出で賑わいました。長崎港での「帆船まつり」や「はさみ陶器まつり」(東彼杵郡波佐見町)などこの時期、恒例のお祭りも大盛況。長崎市民は近場で賢く楽しんでいたようです。(^〇^)!


 さて今回のテーマ・けん玉は、昔懐かしい玩具の代表的な存在ですが、誰もが一度は手に取って遊んだ記憶があるのではないでしょうか。私の場合は、左右にある大小の皿には何とか玉を乗せられましたが、細いけん先に入れることがどうしても出来ませんでした。玉を自由に操り、得意げになっている男の子をうらやましく思ったものです。



▲なつかしいけん玉


 ところで、そのけん玉を日本古来の玩具だと思っている方はいませんか? どうやらそれが間違いで、日本のけん玉は1777年(安永6)頃、唐船によって長崎に伝えられたのが最初ではないかといわれています。当時のけん玉は1830年刊の『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』という本によると、糸でつながったボールを引き上げて、おチョコのようなくぼみに乗せたり、けん先で受けたりして遊ぶもので、うまく出来ない者には酒を飲ませた、というようなことが記されているそうです。(〃∀〃)~●


 今でこそけん玉は子供の玩具というイメージがありますが、当初は大人の酒の席のものだったようですね。けん玉が長崎に伝えられたという年は唐船がたくさん入港したそうで、丸山あたりで唐人さんらがお酒を飲む時、けん玉を持ち込んで遊んだことが、全国に広がるきっかけになったのではという説もあるようです。



▲復元された唐船

飛帆(フェイファン)


 日本へ伝わったけん玉。そのルーツをたどるとヨーロッパの「カップアンドボール」という遊びがベースになっていることが分かりました。「カップアンドボール」はコーヒーカップのような「カップ」と、糸をまいて作ったような「ボール」を糸で結んだもので、そのボールをカップに受け入れて遊ぶものです。ヨーロッパでは17世紀初め頃、大流行したそうです。


 日本で大人の遊び道具から子供たちのそれへと変わったのは明治になってからでした。「カップアンドボール」は、当時の文部省が翻訳したイギリスの子女教養書「童女筌(どうじょせん)」の中でも「盃及ヒ球」と訳され紹介されているそうです。そして大正初期になると、けんのようなの棒に太鼓型のものを横に刺して十字に組み合わせた、いわゆる私たちが現在けん玉と呼んでいる型が登場します。それは「日月ボール(にちげつぼーる)」の名で売り出され、昭和初期まで子供達の人気を集めたそうです。


 現在、スポーツ感覚で楽しまれているけん玉は、技がたくさんあり、奥深い遊技として子供から大人まで愛好家の方も増えているとか。どうやらけん玉は古くて新しい玩具のようです。●~\(“)選手権大会もあるんだって


※参考にした本/「長崎県文化百選~事始め編~」(発行/長崎新聞社)

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