第81号【めがね細工のはじまり】
今年は全国的に桜の開花が早いですね。長崎も例年より1週間ほど早く咲きました。観光客の方もこの温かさには驚いているようで、皆、上着を脱いで観光巡りを楽しんでいるようです。(^▽^)/長崎ハ今、春ノ観光シーズン!
さて今回は眼鏡細工のお話です。江戸時代の長崎を知る貴重な資料のひとつに当時書かれた「長崎夜話草」という書物があります。その中には出島貿易で賑わう長崎の代表的な土産物が全39種類紹介されています。天文道具、外科道具、南蛮菓子などいかにも日本で唯一の西洋の情報発信地らしい品々が記載されているのですが、その中のひとつに眼鏡細工という記述があり、さらに、長崎の浜田弥兵衛という人が東南アジアの国へ渡った際、眼鏡づくりを習い、帰国後、生島藤七という人物に教えて作らせたというような記述もあります。浜田弥兵衛とは朱印船の船長で、台湾やフィリピンなどへ渡り交易を行っていた人です。
▲水面に映る2つのアーチが
一体に見え、美しい眼鏡橋
この「長崎夜話草」の記述は江戸時代初期には、眼鏡細工が長崎で行われていたことを示すもので、日本での眼鏡づくりの始まりといわれています。また当時はビードロやギヤマンといったガラス細工の店が商品のひとつとして眼鏡を扱うのが普通だったそうで、眼鏡の種類は、鼻眼鏡、遠眼鏡、虫眼鏡、数眼鏡(玩具の一種?)、磯眼鏡(水中メガネ?)、透間眼鏡(??)、近視眼鏡等、結構いろいろあったようです。
じつは眼鏡づくりの始まりについては前述の浜田弥兵衛の話とは別に、中島川の眼鏡橋を築いた唐僧・黙子如定(もくしにょじょう)が職人を連れて来て、眼鏡を作らせたという説もあります。また、眼鏡自体の伝来は、1551年にイエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエルが周防(山口県)の殿さま大内義隆へ贈ったものが最初だといわれいます。耳かけがなく手で持つメガネだったそうです。(O-O)
▲ひも付き眼鏡も
なかなかお洒落!?
いずれにしても江戸時代に長崎で眼鏡づくりが発達したのは、眼鏡の縁に使用されるべっ甲細工の技術が長崎にあったこと、また貿易の相手であるオランダがヨーロッパでも有名な眼鏡の産地だったこともあり、優れた技術が長崎に入って来たからであろうと考えられているそうです。とにかく眼鏡細工の技術が入って間もない1661年には眼鏡専門店が長崎にはあったということですから、たいしたものですよね。(◎◎)熱心ナ職人サンガイタ!?
ところで時代劇などで、丸いレンズのヒモ付タイプの眼鏡をかけた人物を見かけることがありますが、当時の眼鏡は大変な貴重品で、よほど偉い人物でない限り持っていなかったそうです。またそのヒモ付眼鏡は鼻の低い日本人がかけると顔にくっつくため、眼鏡の中央部分に鼻あてを付ける工夫がされました。今では当たり前の鼻あて(パッド)ですが、まさか日本人が発明したとは、ちょっと驚きですよね。 (^<^)鼻高々ナオ話デス
※参考本/「ながさきことはじめ」(発行/長崎文献社)
「眼鏡の社会史」白山晰也 著(発行/ダイヤモンド社)