第61号【富三郎とグラバー図譜】
今日で10月も終わり。今年もあと2ヶ月だなんて早いですね。さて今回は、トーマス・グラバー(1838~1911)の息子トミーこと「倉場富三郎(くらばとみさぶろう/英名Tohmas Albert Glover)」のお話です。スコットランド生まれの父グラバーは幕末~明治の日本で活躍し、観光名所グラバー邸の主人としても有名ですが、その息子についてはあまり知られていないようです。(¨)息子がイタンダ…
▲倉場富三郎
(1870~1945)
グラバーが生涯の伴侶とした日本人妻ツル。夫婦の間には長女ハナ、長男富三郎の2人の子供がありました。姉のハナより2才年下の富三郎は明治3年(1870)長崎生まれ。グラバーが32才の時の子供です。若き日を不自由なく育った富三郎は、学習院を卒業後、米ペンシルベニアで生物学を学びます。帰国すると、父の会社から独立した貿易商社ホーム・リンガー商会に就職。それから第二次世界大戦が始まるまで、長崎の実業界の中心的存在として活躍しました。
富三郎の偉業を紹介しましょう。富三郎を重役とするホーム・リンガー社は1907年長崎汽船漁業を設立。富三郎はイギリスから日本初となるトロール船を購入し五島沖で操業を開始します。また遠洋捕鯨も初めて操業するなど水産県長崎の近代化に大きな刺激を与えました。そんな中、富三郎はトロール船から水揚げされるさまざまな魚たちを見てあることを思い付きます。
日本近海にすむ魚類の分類学的研究を目指し、魚譜を作ろうと決心したのです。ペンシルベニアで魚譜づくりの要領を学んでいたこともあり、さっそく地元の画家を雇い入れ魚譜の制作にかかりました。 くコ:彡 φ(..)コンナカナ…?
「グラバー図譜」と呼ばれる(正式名称は『日本西部及び南部魚類図譜~Fishes of Southern and Western Japan~』)その魚譜は、明治末から昭和の初めにかけ、約25年もの月日をかけて制作されました。内容は558種の魚を写生したものに、貝類と鯨を含む計823枚の図譜から成っていて、描写が美しく、断面図やウロコの拡大図などが添えられているところが大きな特長だそうです。画家とはいえ科学的な描写は素人だった者に、専門的な視点での作図を教え、自らも長崎魚市場へ出かけ新しい種類を探し、ひとつひとつ仕上げていった図譜。その仕上がりはたいへん素晴らしく、今も日本の四大魚譜のひとつに数えられています。(^ー゜)b Good Job!
▲詳細に描かれた「いか」
(グラバー図譜より)
しかし、第二次大戦が始まると、スコットランド出身の父を持つ彼は憲兵のきびしい監視下におかれました。父グラバーが基礎を創った三菱造船所で戦艦「武蔵」を造る際には、対岸から丸見えになるということで、南山手のグラバー邸からの立ち退きを要求されます。戦争の影響で苦悩の日々を送った富三郎は、たいへん残念なことに終戦直後の1945年8月26日、自ら命を絶ってしまいます。(・o・;;)ソンナ…
時代が違えばグラバーの息子として最後迄幸せな人生を送れたかもしれない富三郎。美しく細かな描写のグラバー図譜のように富三郎も繊細な人物だったのです。戦争と軍国主義の犠牲となった彼の人生の終焉は、悲しさとともに同じ事がニ度とあってはならないと教えてくれます。今、富三郎は坂本国際墓地(長崎市)の一角にある両親のお墓の隣で静かに眠っています。(´人`)トミーよ、安らかに。
▲倉場家之墓(手前)
右側は父グラバーと母ツルの墓