第57号【日本に理想郷を見た?!ケンペル】

 新聞の折り込みで、どこそこの秋を堪能しよう!なんていうチラシが目立つ今日この頃。♪知~らない、ま~ちを歩いてみた~い♪なあんて気分に。秋は人を旅情へ誘う不思議な力があるようですね。(^‐^)エトランゼになる季節


 さて今回ご紹介するケンペルさんは、1651年ドイツ生まれのお方。ヨーロッパでは今でもバロック時代(17~18世紀)の大旅行家として知られる人物です。日本では江戸時代に出島の商館医師として活躍、このコラムですでに紹介したツュンベリーやシーボルトと並ぶ出島の三学者の一人として名を残しています。



▲江戸城で5代将軍綱吉と

拝謁中のケンペル(中央)


 聡明で探究心にあふれたケンペルは、若い頃から未知の世界へのあこがれが強く、故郷ドイツの大学で学んだ後、ポーランドやスウェーデン、オランダの大学へも通い、医学をはじめ言語学、歴史学、数学、博物学などを学んだそうです。(“)オドロキの知識欲


 大学で思う存分学んだ後、スウェーデン国王の使節団のひとりとしてモスクワやイスファハン(ペルシア)を訪れ、それぞれの土地を独自の視点で観察・研究します。


自ら「知りたがり」と称するほど好奇心旺盛だったケンペルは、その後、東洋への興味にかられ、安定したこの仕事を捨ててオランダ東インド会社へ入社。アラブやインド、タイなどでの実地研究を経て、1690年、出島のオランダ商館医師として日本へやって来たのでした。(゛)海外経験ガ豊富!


 当時の日本は、「好色一代男」の井原西鶴や「奥の細道」の松尾芭蕉などが活躍した元禄の町人文化がまさに華開こうとしていた頃で、庶民は平和と繁栄を享受していました。ケンペルは約2年間、日本(出島)に赴任していたのですが、その間2度、江戸参府に同行し、その頃の日本の景色や庶民の暮しぶりをスケッチしています。厳しい警護の目を盗んでのこの行動。どんな環境の下でも探究心を失わないたくましさが感じられますね。



▲江戸参府の行列図

(ケンペル画/日本誌より)



 2年間の日本滞在の後、帰国したケンペル。彼は、自分が巡った地の話を綴った「廻国奇観(かいこくきかん)」という本を著し、この中に“日本人は他の国と提携しなくとも幸福で満ち足りた生活をしている“と鎖国を肯定する見解を述べています。またもう一冊、日本を正しくヨーロッパに紹介した最初の本となる「日本誌」という本も著します。この本は、江戸参府の際に見かけた様子を描いた挿し絵をふんだんに盛り込んでいて、18、19世紀のヨーロッパにおける日本観に大きな影響を及ぼしました。しばらくしてこの本は日本に輸入され、江戸時代の蘭学者らの間で反響を呼んだとか。さらには、今でも歴史学者の間で貴重な資料として利用されているという話です。



▲廻国奇観(かいこくきかん)

ケンペル著/長崎市立博物館蔵


 江戸での5代将軍綱吉との拝謁の際、将軍様の前でヨーロッパの歌を唄ったり、踊ったりしたというユニークなエピソードを持つケンペル。そんな彼が鎖国を肯定したのには、当時のヨーロッパは国同士の紛争が絶えず、人々の心が荒廃していたという背景がありました。ケンペルは何だか幸せそうな鎖国・日本に理想郷を見たのかもしれません。(“)セツナイナア!

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