第51号【異才の建築家が残した旧香港上海銀行長崎支店記念館】

 長崎は残暑がとても厳しいです。皆さんのところはどうですか? 夏バテに気をつけてお過ごし下さいね。


 さて旧香港上海銀行長崎支店記念館は、長崎港に面した松ヶ枝町にあります。南山手にほど近いこの辺りは幕末から明治時代にかけて外国人の居留地だったところで、現在も多くの洋館が点在する異国情緒豊かな界隈です。そんな中、威風堂々とした表情でひときわ目を引くのが明治37年(1904)に建てられた旧香港上海銀行長崎支店記念館(国指定重要文化財)です。この洋館、古さは一番ではありませんが、長崎の石造りの洋館としては最大級の規模と言われています。 



▲旧香港上海銀行長崎支店記念館


 「香港上海銀行」は1865年、東洋で活躍するイギリス人貿易商らによって造られ、本店は香港にありました。翌1866年に最初の外資系銀行として横浜支店を開設。長崎支店は1896年に開設され、以後閉鎖される1931年(昭和6年)までの35年間、外国貿易港長崎の繁栄に大きな役割を果たしました。( ̄o ̄)/現在は東京と大阪に支店があります。


 長崎に支店が置かれて間もなく銀行建設がはじまるわけですが、その設計を任せられたのが明治から昭和初期にかけて建築界の異才として名を馳せた「下田菊太郎」という人物でした。彼は日本人で初めてアメリカ建築家協会の免許を取得。帰国後はアメリカで学んだ鉄骨・鉄筋コンクリート構造の工法を日本にもたらしました。菊太郎は当時、洋風建築一辺倒の日本の建築界を批判。欧米風と和風を組み合わせた独自の日本建築デザインを提唱しますが、主流派からは無視されたといいます。しかし現在では逆に彼の業績は評価されているそうです。その彼の作品で日本に唯一残っているのがこの旧香港上海銀行長崎支店記念館なのです。


 大きな石柱を配し、ずっしりとした風格が漂う外観。3階建ての館内は各階とも天井がたいへん高く、窓が大きいのが特徴的です。1階のフロアはいかにも銀行らしい当時のカウンターが残されています。かつてここに貿易商を営む在留外国人たちが訪れ外国為替や外貨の売買を行なったのですね。2階、3階は当時の部屋を利用して長崎に関わる歴史資料が展示されています。ベランダからは長崎港を一望。当時の銀行マンたちもこのベランダから港を眺めたのでしょう。 ( “)感慨深イネ



▲銀行時代ののカウンターは

当時のまま利用されています


 ところでこの8月、2階展示室に新しいコーナーが設けられました。「頓珍漢(とんちんかん)人形」という手びねりのかわいい素焼き人形です。作者の故久保田馨さんが、戦後の爪痕が残る昭和29年に平和への願いを込めて作りはじめたもので、かつては長崎のお土産品屋にも売られていました。ひとつひとつ姿形が違い不思議な表情をしたこの人形は修学旅行生に人気があったそうです。展示室には約800点に及ぶ作品を見る事ができます。心に何かを訴えてくる頓珍漢人形。必見です。



▲かわいい素焼きの頓珍漢人形

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