第39号【オランダ商館員の面白エピソード】

 アジサイが咲きはじめています。長崎ではアジサイといえばシーボルト。日本原産のアジサイに魅せられたシーボルトは帰国後、日本に残した妻・楠本滝(通称・オタキさん)の名にあやかり「ヒドランジア・オタクサ」という学名を付けました。そういう縁もあってアジサイは長崎市の市花に。街のいたる所にこの花木は植えられていて、これから梅雨が終わるまでブルーやピンクが微妙に七変化する花々を楽しむことができます。(^▽^)キレイカヨ~


 さてアジサイの話とは打って変わって。今回は出島のオランダ商館員さんたちの話です。出島には商館長(カピタン)率いるオランダ商館員らは常時十数名ほどいました。荷物の管理者、会計担当者、書記役や医師などの役職にある彼等は基本的に出島の外へ出る事を許されず、貿易業務の少ない時期はたいへんたいくつな日々を送り、商館の中に設けたビリヤードに興じたり、遊女と戯れたりしていたそうです。



▲ビリヤードに興ずる商館員


 そんな中、今どきでいうなら三面記事に掲載されそうなエピソードを2つほど紹介します。1659年秋の某日。商館医師マルティン・レミが突如出島から姿を消しました。机に残された遺書によると、"遊女を愛しているが、自分のものにすることができない。だから死ぬよりほかにはない" という理由での失踪のようです。他の商館員や長崎奉行所の役人らはあわてて捜索をはじめ、出島はもとより民家や船、そして海中には網を投げるなどして長崎の町中を巻き込んでの大騒動になりました。そうして事件が解決したのは行方不明になってから3日目の夕暮れどき。出島の近くに停泊していた唐船の帆の下からひょいとレミが姿を現したのです。何でも失恋の末、海に身を投げるつもりだったのが、命が惜しくなり、さらには遊女に一目会いたくなって丸山へ向かおうと思っていたのだそうです。実際のところは空腹に耐えかねて出て来たところを無事に保護されたのですが、本当に人騒がせな話です。まあ、何といいますか「恋の病」は古今東西変わらぬようで…('-'*)。



▲楽器演奏を楽しむ

様子が伺えます。


 もうひとつはちょっと悲しいお話。1811年冬、商館員スヒンメルがお酒の飲み過ぎで亡くなりました。せまい出島でのわび住まいに加え、その頃の世情も本国オランダがナポレオン軍に占領されていたためオランダ船の長崎への寄港が途絶えていて、商館員らは不安とあせりを感じていました。そんなストレスの多い日々を、スヒンメルは「人並みはずれた飲酒」で解消しようとしていたのでしょう。酒を飲み過ぎては治療を受け、周囲に迷惑をかけながら何度も禁酒の誓いをたてては破りをくり返していたそうです。(*^¬^*)ウィーッ



▲食事風景(2階)と家畜の

世話をする姿が見えます。


 失恋も、お酒の飲み過ぎも現代によくある話。江戸時代のオランダ商館員さんたちがご近所の人のように感じませんでしたか?


※各資料とも長崎県立美術博物館蔵

「漢洋長崎居留図巻・長崎阿蘭陀出島之図」(画者不詳)より(一部)

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