第32号【長崎のハタ揚げ】
桜の花が見頃を迎えた4月はじめ。長崎の「唐八景(とうはっけい)」と呼ばれる山では市民1万人が集って毎年恒例のハタ揚げ大会が行われました。ハタ揚げは、夏の「精霊流し」、秋の「くんち」に並ぶ長崎三大行事のひとつ。この日も老若男女がハタ揚げに興じ、楽しいひとときを過しました。(“)ハタ?
ところで「ハタ揚げ」と聞いて「?」と思われる方もいらっしゃることでしょう。長崎でいう『ハタ(旗)』とは他の地域でいう『タコ(凧)』のこと。それで、「タコ揚げ」といえば普通お正月の遊びですが、「ハタ揚げ」は昔から春先~梅雨前までがシーズン。この季節がやって来ると唐八景、風頭山(かざがしらやま)、金比羅山(こんぴらさん)、稲佐山(いなさやま)といった長崎の街をとりまく山々は、ハタ揚げの舞台となって賑わいます。ただ、ひと昔前に比べハタ揚げをする人や大会の数はずいぶん減ってはいますが…。【}ハタ≒タコ{】
▲色鮮やかな長崎のハタは県の
伝統工芸品に指定されています
長崎のハタ揚げの特徴は、ガラスの粉末を塗り込んだヨマ(糸)を使うところにあります。数十メートルもあるヨマの先にハタをつけ、空中に飛ばし1対1で相手のヨマを切り合います。巧みなヨマの操作と駆け引きの果てにどちらかのヨマが切られると、見物人たちの中から「ヨイヤー」の歓声が上がります。風と技量に左右される勝敗の行方。思わず見入ってしまう空中合戦です。ただハタを揚げるだけのシンプルな動作の中に、奥深い何かが隠されているようです。また長崎のハタの種類にはインドネシアやマレーシア方面から伝わった南方系と中国系のものがあり、図柄も外国旗や紋章、動植物などをモチーフにしたものが200種類以上もあります。そのひとつひとつが長崎の風土と歴史を物語るといわれています。[・。・]ホウ
▲ヨマの手入れも怠りません
専用のヨマかごもあります
長崎の伝統行事「ハタ揚げ」がいつ頃はじまったのかは定かではありません。江戸時代の前からという説や、出島でオランダ人に使えていたインドネシアの人が揚げたのがきっかけだという説もあり、出島側からと、海をはさんだ長崎側からハタを揚げ、親善合戦も行われていたとか…。いずれにしても江戸期の長崎では盛んに行われていたのは確かのようで、ハタ揚げの場所となった山は人で埋まり、空も大小無数のハタでおおわれるほどの盛況ぶりだったそうです。勝負で切り落とされたハタは拾った者のモノというルールで、若者や子供らはハタを奪い取るためにそこら中を走り回り、さらにケンカ、口論、大乱闘!?は毎度のことで、長崎奉行所はたびたび取締りのおふれを出したといいます。時には、畑を踏み荒らす、物干場や屋根をこわしてしまうなどの理由でハタ揚げ禁止となった時期もあるなど、長崎の庶民の常軌を逸した熱中ぶりが伝わって来るエピソードがいろいろ残されています。“]スゴッ!
さて、近くの山へ繰り出し、空を見上げ、大地を踏みしめ、ハタを操れば、いつの間にか気分はスッキリ。私にとってハタ揚げは、いいストレス解消法なのでした。(^▽^)Y
▲家族連れで賑わう唐八景