第31号【人情奉行、「遠山の…」】

  時代劇でおなじみの「遠山の金さん」は、桜吹雪の入れ墨が粋な江戸の町の人情奉行。テレビでは何度も再放送されたほどの人気者です。私も“しらす”での情け深いお裁きを、毎回楽しみに見ていた遠山ファンのひとり。今回はそんな名奉行の“父”が長崎に残した、これまた人情味あふれるエピソードをご紹介します。(☆☆)金さんのパパ?


 舞台は江戸時代の長崎・出島。カピタン部屋で帰国を目前に控えたオランダ商館長のドゥーフが苦悩の表情を浮かべています。歴代のオランダ商館長の中で、もっとも長い間、出島に在職し大活躍したドゥーフ。彼は今、丸山遊女・瓜生野(うりゅうの)との間にできた息子・丈吉(じょうきち)をオランダへ連れて帰りたいと幕府へ願い出たものの、却下され困惑していたのです。



▲ドゥーフはオランダ商館長

として18年間在職した


外国人の親を持つ子供に対する偏見の強かった当時の日本。かわいい息子を残していくことが不憫でならなかったドゥーフは、ならばと養育費を託し、息子が成人したら出島で仕事ができるようにと長崎奉行所に前代未聞の嘆願書を提出したのでした。(¨)親心だねえ…


 前例がないこの難しい願いを快く引き受けたその人こそが、ときの長崎奉行、遠山左衛門尉景晋(とうやまさえもんのじょうかげみち)、あの「金さん」のお父さんだったというわけです。(“)金さんは、次男坊だって。



▲長崎奉行所跡の石碑

(長崎県立美術博物館敷地内)


 自らも息子を持つ親としてドゥーフの心情を他人事には思えなかったのかもしれません。お奉行は約束を守り異例の取り計らいで14才の丈吉を地役人に任じました。さらには「ドゥーフ」と読める「道富」(みちとみ)という名字までも与えました。そこには、もう二度と会えないかもしれぬ父親の名を忘れず、誇りとして生きて欲しいという景晋の優しい思いがあったかもしれません。しかし残念なことに丈吉はまもなく17才の若さで亡くなっています。[´`]カワイソウ…。


 ところで長崎奉行というのは、長崎の行政、司法、軍事全般を掌握、たいへんな権力を持っていました。特に貿易と外交が最も重要な職務とされ、唐やオランダとの貿易を監督し、諸外国に対して万一のときには将軍の名のもとに、号令を出す権限もあったほどでした。( ̄^ ̄)かなりエライ!


 その長崎奉行として遠山左衛門尉景晋が着任したのは1812から1816年のわずか4年。この頃の長崎はオランダ船があまり入港せず、財政が困難な時期でもありました。景晋は役所の雑費を節約させ二割減を成功させるという功績も残しています。【^▽^】ヨッ、節約上手!


 現在、長崎奉行所の立山役所跡(現:長崎県立美術博物館)には、往時を偲ぶ池や石燈籠が発掘されています。その中に「遠山左衛門尉家中」の文字が刻まれている石燈籠が見つかっています。金さんのお父さんが確かに長崎にいたんだなあと実感できるうれしい証拠品です。



▲遠山左衛門尉家中の

文字が入った石燈籠

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