第28号【お江戸の春の風物詩、江戸参府!】
ご近所の庭先から風が運んで来る沈丁花(じんちょうげ)の香り。この時期、いろいろな場所で新しい季節の変化が見られます。あなたはどんなことに春を感じていますか?(∪_∪)お日さまと眠気かな…。
今回は江戸の春を賑わしたカピタン(オランダ商館長)の江戸参府のお話です。江戸時代、各藩の大名が参勤交代で定期的に江戸へ上がったように、カピタンも江戸へ出向く義務がありました。これはオランダが幕府に貿易を許可されていることに対して謝意をあらわすのが目的で、将軍にご挨拶をし、西洋の珍品を献上するという習わしになっていました。(“)カピタンの参勤交代?
▲カピタンの江戸参府の行列
シーボルト著「日本」より
カピタンの江戸参府は1609年にはじまり、18世紀の半ば頃、5年に1度に改められるまで、ほぼ毎年行われています。カピタン率いる江戸参府のメンバーは、医者や書記、阿蘭陀通詞、そして長崎奉行所の役人など。出発はだいたいお正月の頃(旧暦)、冬の最中に長崎を旅立ったのでした。
一行はまず長崎街道に入り下関へ。そこから兵庫まで海路を利用。兵庫からは大阪、京都を経て東海道を行く陸路を辿っていたとか。そうして江戸に到着するのが、毎年春頃だったのです。(・〇・)長い旅路だねえ…
▲長崎街道の石碑
(長崎市桜馬場)
さて花のお江戸に到着した一行は日本橋本国町にある定宿「長崎屋」に宿泊。商館医ツュンベリーの記述によると、『長崎屋の通りに面した部屋の外には見物人が集まり、中には塀をのぼって覗き込む者もいて、チラリとでも異人を見ると大きな歓声を上げていた』そうです。物見高いは江戸の常。好奇心旺盛な江戸庶民で賑わう長崎屋の様子をあの葛飾北斎が描き残しています。また芭蕉の『紅毛も 花に来にけり 馬の鞍(くら)』『かぴたんも つくばいにけり 江戸の春』という句を詠んでいることからも伺えるように、カピタンらをとりまく騒ぎはまさに江戸の春の風物詩だったようです。[□□]ホウ、北斎も、芭蕉も…。
▲江戸城で将軍に拝謁の図
「ケンペル江戸参府紀行」より
長崎屋での彼等は、旅の疲れを癒す間もなく多忙な日々を送っていました。江戸の蘭学者や医者、文化人たちが西洋の知識を得ようと次々にやって来ていたからです。日本の学者らがあまりにいろんな質問をして来るものだから、『煩わしい訪問者』と記述したカピタンもいるほどです。しかしこれは一部の話で、総じてオランダと日本の両国がお互いを親しく観察できるいい機会になっていたと推測されています。余談ですが杉田玄白、前野蘭化が訳した「解体新書」の原本はこの長崎屋で譲り受けられた書物だそうです。長崎屋は、西洋への唯一の窓口だった長崎の“出窓“として重要な役割を担っていたのですね。