第26号【江戸の仇を長崎が打っちゃった!】
『江戸の仇を長崎で打つ!』。意外な場所や筋違いな事で、昔の仕返しをするという意味ですが、今ではめったに耳にしないことわざです。ところで、このことわざの由来をあなたはご存じですか?(・_・?)ハテ?。
じつは長崎のガラス細工、ビードロ、ギヤマンに関係があるのです。
▲ことわざになるほど美しかった長崎硝子
(右2つは輸入品)
話は江戸時代にさかのぼります。当時、庶民の楽しみのひとつだった「見世物」で、大阪の籠細工が江戸の見世物を圧倒していました。江戸っ子たちが意気消沈していたところ、長崎のガラス細工が大阪の見世物をしのぐ人気で成功を収めたことから、江戸の仇を長崎が打ってくれたということで生まれたことわざなのだそうです。それほど長崎のガラス細工は美しく珍しいものだったのでしょう。(☆o☆)キラキラ~
何を隠そう長崎は、近代ガラス産業発祥の地。江戸時代、オランダ船が大量にガラス製品を出島に運び込み、いつしかそれは庶民の手の届くものとなります。そして美しく輝くガラスに魅せられた者たちが、舶来のガラス製品を手本にオランダ人や中国人に製造技術を学びながらさまざまなガラスの器を作り出し、ガラス職人としての腕を磨いていったのでした。(・◇・)ヘエ…
▲どこかのコンピュータのような
カラーバリエーションです
ちなみに「ビードロ」は、ポルトガル語でガラスを意味するVidroから来た言葉で、一般的に吹きガラスをいいます。「ギヤマン」はオランダ語でダイヤモンドを意味するDiamantから来た言葉で、切り子といわれるようなカットを施されたガラス製品をいいます。当時、長崎に輸入されたヨーロッパのガラス製品は、実用的な瓶から芸術的なデザインのグラスや水さしなど、多彩なアイテムがありました。日本までの長い航海中、この「コワレモノ」たちは、木箱に入れられ、器と器の間にはクローバーが詰められていたそうです。日本ではクローバーを「白詰草(しろつめくさ)」ともいいますが、こういう由縁があったからなのですね。長崎で育まれたガラス細工の職人技は、後に大阪、京都、江戸、薩摩などに渡り、それぞれの地で新しいガラスの歴史を刻むことになります。
▲硝子で出来た珍しい「櫛」
でも、使うのがちょっと怖い!?
さて長崎でのガラス製造発祥の時期を裏付ける資料が数少ない中で、面白いものがありました。長崎奉行所の財産没収記録です。そこには1676年、長崎代官、末次平蔵政直の孫による密貿易が発覚した際に、没収された末次家の財産が記されていて、その中に『日本ものびいどろ釣花入れ一ツ』と書かれた項がありました。ということは長崎では少なくともこの事件以前からガラス器が作られていたことになります。代官の孫による悪さの記録が、後世、長崎のガラス製造発祥の証になるとは。何が効を奏するかわかりませんね。(^-^ゞ
※各資料とも長崎市立博物館蔵