第20号【江戸時代の長崎みやげ】
誰が言い出したのか、“日本人は旅が好き”。今年もお正月休みを利用してたくさんの人が海外旅行や故郷旅行!?に出かけましたね。旅好きの国民性は一説によると江戸時代からあらわれたようで、北は奥州(現在の青森・岩手・宮城・福島)、南は九州まで大勢の庶民が日本の中を行き交っていたそうです。最も旅行者が多かったのは三都と呼ばれた東京・京都・大阪(都へ憧れるのは今も昔も変わらないですね)。考えてみれば参勤交代で各地の街道も整備され、当然お宿もござる。道筋の要所では旅人の休憩所として茶屋も営まれ、テレビの時代劇でよく見かける風景が本当にあったようです。(・・)水戸黄門の世界ダ!
さて日本の西の果てにあった長崎にも大勢の旅人がやって来ています。特に西洋の知識や文化に興味を抱く学者や野心家の若者達に人気のスポットでした。それで旅といえばお土産でして、長崎には日本の中の異国らしいさまざまな品が売られていました。ちなみに江戸時代に書かれた「長崎夜話集」という本に、長崎土産が列挙されていて、眼鏡細工、天文道具、外科道具、南蛮菓子など全39種類の品々が記されています。
▲グラバー園に続く道沿いには
おみやげ屋さんがたくさん
中でも当時の旅人に人気があったのは「長崎版画」でした。 長崎港に来航したオランダ船や唐船、オランダ人や西洋の婦人など、異国情緒が感じられるものをテーマに作られた版画です。単なる風景画でないところに版画を作った人の商魂が見え隠れしますが、旅人が何を求めているのかをきちんと把握していたのですね。 この時の版画は現在も絵葉書に使われていて長崎のお土産屋さんで手に入れることができますよ。またビードロやギヤマンといったガラス製品も人気商品でした。 出島には大量の西洋のガラス製品が輸入されていたのです。当時の西洋かぶれの人々は、得意げに西洋のグラスについだブドウ酒を飲んだそうです。∀(*^¬^* )ウマカァ
▲長崎版画の絵はがきは
今も人気があります
人気土産はまだあります。「古賀人形」です。古賀(こが)とは長崎郊外にある地名で、当時、街道筋にあったその村に住んでいた小川家で製作されはじめた素焼きの人形です。独創的な型と色合いが特長の素朴な人形で、人や動物などさまざまな型があります。当時人気を呼んだのは、「紅毛夫人(こうもうふじん)」と題した、西洋の女性とその傍らに子どもが寄り添ったものです。このモデルとなったのは出島のオランダ商館長夫人。
出島にある新商館長が赴任する際、単身赴任という規則を破って夫人・子どもを連れて来日。当時、西洋の女性はたいへん珍しかったことから人形のモデルとされ注目を浴びたのでした(結局、夫人らは幕府の許可がおりず、長崎を離れています)。 古賀人形の伝統は現在、小川家18代目の方に受け継がれています。
▲古賀人形/おみやげ品店
「想い出」にて撮影
それにしても江戸時代のこれらの土産品で驚くのは、数世紀を越えた今も明治期に生まれたちゃんぽんと並んで、しっかり現代の長崎を代表するお土産品であり続けているということ。これってものすごいことだと思いませんか?オミヤゲ ( ^_^)/由 \(●~▽~●)/ワーイ