第19号【長崎ことはじめ(遊技・スポーツ)】
この冬、長崎は比較的温かい日が続いています。粉雪も散らつかないし、ちょっとつまんないなという気分です。例年、長崎ではめったに大雪というのはありませんが、ひと冬に2、3回は、朝起きたら何だか辺りがシーンとしていて、窓を明けたら山や家々の屋根が真っ白になっている、というような日があります。その雪はお昼頃には溶けてしまい、とても儚いのだけど、そこがまた良くって、私は雪が大好きなのでした。(”)┌ユキ、マダカナ…
さて今回は「長崎ことはじめ」として日本初の遊びやスポーツをご紹介します。まずビリヤード。16世紀にフランスで考案されたこの遊技が長崎に初めてやって来たのは18世紀の終わり頃。出島の商館員らのレクリエーションのひとつとして持ち込まれたのがはじまりでした。ビリヤード台は出島内の遊女部屋におかれ、商館員らは貿易業務がひと段落する秋から、次に船が入る翌年の夏までの間、時には奉行所の役人やオランダ通詞らも交えながら玉突きに興じていたそうです。(“)ヘエ?、オヤクニンサンマデ。
▲川原慶賀「唐蘭館絵巻」より
(長崎市立博物館蔵)
商館員らが楽しんだ本邦初のものといったら、ゴルフもそうです。たぶん出島の庭などで遊んでいたのでしょう、当時使用されていた木製のクラブと、鉄のかたまりみたいなボールが出島史料館に展示されています。ゴルフというよりゲートボールに近いような感じです。余談ですが日本初のパブリックゴルフ場が造られたのも長崎の雲仙。大正2年のことです。【“】フウーン
▲出島史料館の中には
お宝がいっぱい
出島内の通りでは日本の羽子板に似た遊びも行われていました。バトミントンです。今ではスポーツとして世界的に普及していますが、その起源はインドで行われていた「羽根つき」で、世界に知られるようになったのは19世紀の半ば頃だそうです。でも日本ではすでに江戸時代に、オランダ人の従事として働いていたインドネシアの人たちがバトミントンを楽しんでいたのです。
長崎初はまだあります。ボーリングです。安政の開国(1859)後、すぐに西洋から伝えられ、1861年には日本で初めてのボウリング場が外国人居留地だった南山手に開設されました。その名も「インターナショナルボーリングサロン」。サロンというにふさわしく、ゲームの合間にはワインやビールを飲み談笑する光景も見られ、当時の重要な社交の場として利用されていました。また居留地に住む外国人たちによる国別対抗ゲームも行われていたとか。一体どんなゲーム展開だったのでしょう、何だかとても気になります。[“]ボウリングがウマイクニハ ドコダ?。
▲ボーリング発祥の地(碑)
グラバー園下(南山手町)