第17号【長崎のお正月(江戸時代)】

 ♪もういくつ寝るとお正月♪ 新世紀を迎えると思うと、ちょっと感慨深いものがありますね。21世紀、そして新年は、夢や希望を持って迎えたいものです。さあ、元気を出していきましょう!┗(⌒-⌒)┛


 ところで、皆さんは毎年どんなお正月を過されますか? 季節の節目のいろんな行事がなおざりにされつつある昨今、せめて新年のはじまりくらいは、日本の伝統を意識して過したいものですね。(・・)おせち食べたり、初詣に行ったり…。



▲おくんちで有名な「諏訪神社」は

初詣も賑わいます


 それで長崎の江戸時代のお正月はどんな風だったのかなと思い立ち、郷土史をひもといてみました。するとそこには、いかにも長崎らしい新年の風景があったのでした。(^▽^)


 まず鏡餅。一般的な家々の鏡餅は京風で、平たい円形の餅が二段、三段に重ねられ、一番上には長生きを願ったエビに、代々家が栄えるようにと橙(だいだい)の実を抱かせて飾られました。当時の鏡餅は親族や分家、門下や弟子たちが贈るものだったそうで、その数が多いほど名誉とされていました。ちなみに奉行所は江戸風で、菱形の餅も使います。


 長崎の律儀な地役人の中にはあえて江戸風に飾る者もいたそうです。(゜O゜)ホウ


 おや、どこからか、ちゃるめらの音色が聞こえて来ます。 ちゃるめらとは唐のラッパのこと(※おくんちの龍踊りの際に使われる楽器。某インスタントラーメンのCMでもお馴染みのあの音)。その「ちゃるめら吹(ふき)」の男が、鉦(しょう:銅製の打楽器)と太鼓を持った少年を従えて家々を回り、祝いの囃子(はやし)を吹き立てているのです。あらあら御祝儀もしっかり受け取っています。 このちゃるめらはもともと中国人が長崎の人に教えたもの。中国人は結婚式や養子縁組など、事あるごとにちゃるめらを吹いていました。



▲袴姿でピーヒャララ


それでお正月ともなると、普段は野菜や魚を行商している町人が慣れないハカマで正装し、ちゃるめらで商売をしたのでした。ほっぺを膨らまして吹く様子や、ちょっと不格好なハカマ姿が愛嬌ものだったようです。(‘▽‘)ゞタノシソウ♪


 さて町の子供たちはコマ、手マリ、羽子板などに夢中です。その中に長崎独自の遊びがありました。「ねんがら」と呼ばれる、数人がクギのようなものを土に打ち込んで勝負する遊びです。先に打ち込まれたクギを倒すのを競う他、いろんなルールがあったようです。この遊び、元をたどれば出島の阿蘭陀人の従事たちの遊びだったもの。現在は見かけませんが私も子供の頃、男の子達とやってました! お正月は、久しぶりに幼な馴染みと勝負しようかな…。皆さん、どうぞ、よいお年を。\(⌒◆⌒)



▲「ねんがら」と呼ばれた

長崎独自の遊び

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