第638号【長崎の真ん中から見渡す】

 3年ぶりに開催された「長崎ランタンフェスティバル」(1/22〜2/5)が無事に閉幕しました。最終日前夜の2月4日土曜日は立春。「暦の上では春ですが、厳しい寒さが続いています…」というのが、いつもの「立春」ですが、この日の長崎は、文字通り春めいた温かさを感じる天候でした。そのお陰もあってか、約1万5千個もの中国ランタンが施された長崎市中心部は、かなりの人出。ランタンを見上げる人々のマスク越しの会話も、あちらこちらで弾んでいました。






 道沿いに延々と連なるランタンは、長崎のまちを縦横無尽に飛び交う龍のよう。新地中華街そばの銅座川では桃色のランタン、眼鏡橋がかかる中島川では黄色のランタンがそれぞれ水面に映って幻想的な景色でした。富を招くという金魚や縁結びの神様「月下老人」のオブジェの前では、ご利益にあやかろうと大勢の人々が集まっていました。






 中国の旧正月、「春節」を祝う「長崎ランタンフェスティバル」。今年の干支のウサギにちなんだ大きなオブジェも目を引きました。ちなみに卯年生まれの長崎ゆかりの人物に、松尾芭蕉の高弟として知られる向井去来(1651-1704)がいます。去来は、儒医・向井元升の次男として長崎に生まれ、少年の頃、父に伴って京都へ移住。のちに芭蕉の門に入り、俳人として「西国三十三ケ国の俳諧奉行」と称されるほど高い評価を得ました。




 去来が生まれた向井家は、江戸時代の長崎を代表する学問所、長崎聖堂の祭酒(所長)を代々務めた(一時期を除く)家柄です。父・元升は、長崎聖堂の前身である立山書院の設立者で、さまざまな人に広く開放された長崎聖堂は、学びの場として人材を育成、中国との通商や文化交流、儒教の振興に大きな役割を果たしました。あの坂本龍馬も受講したことがあると伝えられています。禅林寺(長崎市寺町)には、長崎聖堂4代目祭酒の文平と5代目の元仲が眠る向井家のお墓があります。




 さて、「長崎ランタンフェスティバル」の賑わいのなか、この催しとは別のことで多くの人が訪れた場所がありました。長崎市役所新庁舎の19階展望フロアです。今年1月4日に開庁してから、展望フロアは平日のみの開放でしたが、2月4日から土日祝日も利用できるようになりました。

 高さ約90メートルの展望フロア。まちの中心部から見渡すその景色は、長崎港を囲む山々から市街地を見下ろす景色とは違って、より臨場感があり新鮮に映りました。東側から時計回りで、烽火山、英彦山、風頭山、星取山、鍋冠山、そして長崎港の女神大橋と続きます。西側には市街地の向こうに稲佐山が見え、北から東にかけて立山、西山、新大工の街並みが見渡せます。





 江戸時代に長崎の風物画を描いた川原慶賀だったら、この景色をどんなふうに描くだろう。ふと、そんなことを思わせる新時代の長崎の眺望。展望フロアの一角には長崎のまちの歴史を映像で紹介するコーナーもありました。観光で訪れる人にはもちろんおすすめですが、新型コロナの影響で、ここ数年帰省がかなわなかった親戚や友人たちにも見せたい故郷・長崎の新景色でありました。





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